2009年08月26日

家畜人ヤプー

家畜人ヤプー」は、1956年に連載が開始されて以来、三島や渋沢といった作家をはじめとする識者のみならず法曹から右翼団体まで、実に様々な人々を巻き込み、その作品の是非について称賛と批難の声が浴びせられてきた・・・。

作品の是非自体については、一応の決着をみたといっても良いのかもしれないが、絶賛されたり、罵倒されたりする「家畜人ヤプー」だからこそ様々なところで「静かな」物議を醸しながら、現在に至るまで各方面(ウルトラマンに出てくるヤプール人など)に多大な影響を与えてきたのも間違いない。

未完成でありながら戦後最大の奇書とされる「家畜人ヤプー」・・・半世紀の時を経てもなお、その妖力は失われてはおらず、むしろ近年になって再び 妙な盛り上がりをみせており、近い将来、映画化まで噂されている。

この「家畜人ヤプー」という作品、実は・・・
「新世界秩序」を考える上で目が覚めるほど示唆に富んでいる・・・ひどく乱暴な言い方をすれば「家畜人ヤプーに描かれる世界」≒「新世界秩序」なのだ

新世界秩序とは、「人類」ではなく‘人類を含めた地球生命体’を最優先として、‘地球生命体’の恒久的持続と繁栄のための最適化に寄与するものである。これは国際政治の世界では包括的安全保障の概念の本質に他ならず、その地球生命体の最適化過程では民族間における公平性が必ずしも担保されていない・・・と、私は考えている。

果たして地球は増え続ける人類を養うことができるだろうか?・・・「神」を自認する人々が、人類が直面する多種多様の問題に対して出した答をわたしは知っている。ひとつは「神」を自認する者が、自らの至高性という恩恵をもたらす排他的独自信仰(カバラなど)に基づく独善的解釈によって「選民」を施していることである。これは各国の様々な政策にもそれは当然反映されている。日本のダブルエイジング現象、各国の政策、未開発な国々からなる第三世界で頻発する紛争や戦争。全て彼らの「選民」がもたらしたものである。

典型例として中国の一人っ子政策は良く知られている。中国共産党内部の事情によってこの政策が中華思想と深い結びつきのある軍部との折衝により(古くは南西部国境の策定の曖昧にしたことで)核実験をはじめとして人民解放軍の民族洗浄と呼称すべき非漢民族に対する弾圧・虐殺が繰り返されてきた。国際的なメディアが批難の声を上げることをしてこなかったのは、(予期された)中国の台頭によるものではない。

他にもシンガポールでは、低所得者の女性が2人目以降の子供を中絶する費用を行政が負担したり、住宅保証というインセンティブを付与することで、低学歴・低所得の人材が拡大することを強く牽制している。合理的といえばその通りだろうが。(客家の実力の底知れないものをひしひしと感じた方はご一報ください。)

また、日本においては経産省の元局長の証言によれば、高度成長期から経済の締め付けによる人口抑制を外圧的要因によって行ったという(日米構造協議にはじまって今日の規制改革要望書についても同じコンテキストで考えるべきである)。戦後日本におけるGHQの民生局の活動の結果、日本においては左翼勢力が深く根を下ろしてしまったため、戦争も辞さないとする構えが厳に存在しつづけてきたのであるから武力介入による「人員整理」を回避しただけでも良しとせねばなるまい。一方で田舎のヤンキーがせっせと子作りに励んできてくれたというから20年後の日本が思いやられる。

これらが地球規模で起こっていることであると認識を新たにしたとき、「家畜人ヤプー」というフィクションに描かれる構図には目を見張るものがあると私は思う。なにより、そこで展開される偶意はひたすらに示唆深いのだ。

敷衍していえばの話だが、環境保護を訴え、人類そのものが害悪であるとする強烈な人々が西欧の王室ネットワークに存在することこそ問題である。環境ビジネスに対する批判はもっともであるが、そのような危ない人々が絶大な権力と権威をもつレジームのもとに我々がおかれているということをよく覚えておく必要があるのではないだろうか。

現象をみて一般論として述べれば、「神々」である彼らは、人間中心主義に陥ることを嫌いつつも自民族中心主義の域を脱してはいない。これは選民思想と断じるべき現代のナチズムであるが、一方で経済原則を尊重し最大限の努力のなせる協調の結果と評価しなければならない。

つまり、「致し方のないこと」であり、しかし「人類の不幸」でもある。

「家畜人ヤプー」の世界は、人間(社会)の闇陰に光を投じることで描きだされる。それを「人類の不幸」と受け止めるのか「人類のあるべき姿」と受け止めるのかは、読者の判断に委ねられたまま・・・。

「人類の不幸」に対して、抗うだけの新しい潮流を生み出す時代に私たちは生きているのだと、信じたい。

最後に断っておくが・・・

「家畜人ヤプー」は過度に「性的な描写」を含む。エログロな描写にばかり目が向いてしまい 表面的に捕らえてしまっては、到底「家畜人ヤプー」の本質を理解することはできない。誤解が誤解を招くようなことのないようにしなければならない。

「日本神話などの解釈」について自虐史観的な箇所を認めることができるが、これはマゾヒスト・沼正三氏の手によるものであり、「家畜人ヤプー」そのものは、陰謀ではないと私は考えている。

かつて、マレー沖海戦において、旧帝国海軍機の攻撃によりイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズは沈没した。これは象徴的な意味で、時空を超えた歴史のいたずらか皮肉かと案ずる今日この頃である。皮肉かと思えば思うほど、家畜人ヤプーの描く世界は、現在の趨勢とあいまって、不気味さを増すばかりである。


家畜人ヤプー

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posted by 精神の貴族 at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 【書籍】レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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